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2010年08月26日

そこにいること。

↓手慰み・遊びでこんなのばっかり切ってます(笑)


インターネットを立ち上げてポータルサイト見たら、
今敏さんがお亡くなりになった、と知りました。
私は東京ゴットファーザーズと千年女優しか見ていない不勉強者なんですが、
キラキラ豊かにあふれてる印象で心に強く残ってる大好きな作品でした。
きっと大勢の方が悔やんで悲しんでいるんだよね。

中学生の頃から大好きだった緒形拳さんが亡くなったのは、
もう二年前になってしまった。
その2年ぐらい前に一人芝居を見に行った。
実は印象は、テレビ画面で見たものとあまり変わらなかったのに、
「生」ってことに勝手に大興奮している自分がいた。
逆に「生に大興奮」の感情ばっかりが大きくなっていたので、反省だった(笑)

きっと、大きいことは「そこにいること」なのかなあ。
憧れてたり大好きだったり尊敬してたり、
そーゆー対象って劇的な出会い・脚色がかった感情をつい期待し過ぎてしまうけれど、
その出会いや脚色場面の後でのその方の言動に、
後から「そーだったんだ」って凄さを痛感させらることが最近富に多いから。

相手がそこにいて行動していたこと・行動していること。
それが継続している=「存在」している、「そこにいる」「そこにいつづけている」こと。
その重みは、後からじわじわ来て、突然うわっっと痛感させるんだ~。
つい存在し続けることって普通だと思ってしまうけれど、
そんな重みに気付くと、「いない」って莫大な喪失感に襲われますよね。
お亡くなりになるだけじゃなくって、好きなアーティストが活動辞めたりとか、
好きなイベント無くなったりとか、そーゆーことたくさん含めて。

一方で、「自分がちゃんとするまで待っていて欲しい」
って勝手に思って自粛していることが今いくつかあるんだけど、
それも「いつまであるか分からない」んですよね。
自粛中に終わってしまうかも(泣)

って考えると、
それは不毛な自粛なのかしら、と悩んだりしてしまう。
でも自分が一人で立ちたいからこその自粛で…。
うーんうーん。
きっと、すっごい独りよがりなロマンチックな甘えなのかな。
だからこそ「待つ」って魅惑的なんだろうな。

相変わらずこーゆー話はまとまりがありませんが。
「そこにいつづけてくれること」の重みや喜びは常の大きな感情として持っているから。
ブログが更新されているとか、あのラジオ番組がまだ続いてたとか。
分からないけど「存在の認識」によって人は満たされるんだ、
なんて心理学とかありそうだなあ、と思いました。

そう、そんな常の喜びの一つ。
今日はとってもお久しぶりに、
昔職場が一緒だったお姉さんから連絡があったんです。
そんな訳ないのに、こんなお久しぶりな連絡はいつだって、
何万光年かなたからの通信みたいなんだ。
「貴方はそこにいてくれたんだ、ありがとう嬉しい」って気分。
(あ、こりゃ「タイタンの妖女」のハーモ二ウムみたいだ。)

本当は、ずっと借りてる本を返してないからドキドキしていたんだけどね(笑)  

Posted by 切刻亭 at 00:15動物